うまくいかなかった時期のこと
振り返ってみると、思いどおりにいかなかった時期のほうが、ずっと長く続いていたように思います。若いころは任された仕事を落としてしまい、周りの人に迷惑をかけた日も一度や二度ではありません。
覚えたはずの工程が本番になると崩れてしまい、悔しさだけが残って帰った夜も何度も数多くありました。何が足りないのかも分からないまま、ただひたすら手を動かし続けていた時期が長く確かにあります。
自分より後から入ってきた人が先に任されていくという場面にも、何度か出会うことになりました。そのたびに焦りが手を急がせてしまい、かえって仕上がりが崩れるという悪い循環も確かにありました。
それでも、辞めるという言葉があのころ現実味を帯びてこなかったのは、いま思えば不思議なことです。うまくできない悔しさよりも、次はきっとできるかもしれないという思いがそのころは勝っていました。
それでも続けてこられた理由
続けてこられた理由をいまになって考えてみると、まず思い浮かぶのは周りの人たちの存在のことです。手が止まってしまったときに、何も言わず黙って隣に立ってくれた先輩が何人もいてくれたのです。
もう一つの大きな理由は、日々少しずつでも前に進んでいるという実感を持てたことだと思っています。昨日より少しだけ迷いが減ったという小さな手応えが、翌日へ向かう確かな力になってくれました。
そして、作ったものを受け取ってくれる人がいたという事実も、何より大きな支えになっていました。おいしかったという短い一言が、うまくいかなかった一日を静かに立て直してくれることもあります。
専門学校で学んだ資格に向けた基本の知識は、迷ったときにいつでも立ち返れる場所になってくれました。料理人として続けるための土台が、自分で思っていたよりもずっと深いところで効いていたようです。
まとめ
続けてこられた理由をいまあらためて並べてみると、自分ひとりの力によるものはほとんどないように思われます。隣に黙って立ってくれた人と、受け取ってくれた人がいたからこそ、次の日へもようやく向かうことができました。
うまくいかなかったあの時期そのものも、いま振り返ってみればきっと必要な時間だったのだろうと感じられます。悔しさを抱えたままの日々があったからこそ、その後にうまくいった日の手応えが確かなものになっていきました。
続けるという選択は、大きな決断の連なりではなく、明日も店へ向かうという小さな選択の積み重ねなのだと思います。これまでその小さな選択を支え続けてくれた人たちに、いまはただ静かに深く感謝したい気持ちになっています。